Spode(スポード)
スポードは、1770年にJosiah Spodeによって創業された老舗ブランドです。
創業の地は、窯業で有名なStoke-on-Trent。そこで競合他社と切磋琢磨しながら、いくつもの革新的な技術を確立させてきました。
創業当初は、creamware、pearlwareのほか、Wedgwoodが有名にしたblack basalt、 canewareあるいはjapar wareの生産も手掛けていましたが、1778年にはロンドンにショウルームを開設し、事業を拡大します。
スポードが確立した技術で最も有名なのは、銅版転写技術による下絵付けの技法でしょう。1784年のことです。そして、その後の1816年に発表されたBlue Italianは今でもスポードの定番です。なお、有名なMintonの創業者Thomas Mintonも、自分の工場をもつようになる1796年までは、スポードに銅版を供給していたようです。
また、それまで未完成だったbone china製造の技術を1789~1793頃に確立させたのもスポードです。18世紀の間中、英国の窯業メーカーは中国製の磁器に匹敵する白くて硬い(薄い)磁器「bone china」の製造にしのぎを削っていました。Stoke-on-Trentを拠点とするRoyal WorcesterやRoyal Crown Derbyなどもbone chinaの製造技術を持っていました。しかし、その原料には、骨灰に他の成分を混ぜた上で加熱(焼瑕)するという工程を経た高価な成分を、40~50%も含むものでした。これに対してスポードは、骨灰を粘土(カオリン)と長ケイ石の粉末に単純に混和しただけの原料でbone chinaを製造する方法を確立したのです。
そして、1806年に当時は未だPrince of Walesであったジョージ4世からroyal warrantをうけました。
その後、1813年には陶器と磁器の中間の性質を持つ「stone china」を開発。
1821年には、Masonの「iron stone」に対抗するために「Felspar」を開発しました。
1883年、ロンドン市長を務めたこともあるCopelandとGarrettに買収され、事業拡大に成功し、英国を代表する企業になりました。その後も新しい陶磁器の開発に成功し、事業を拡大しました。1847年にCopelandがオーナーとなり、その後はCopeland一族による経営が1970年まで続きます。ただし、その間、1867年に社名は一旦、W T Copeland & Sonsと変更された後、1970年には再び社名がSpode Ltdとなりました。
その後、2006年にRoyal Worceterと合併しましたが、2009年に商標を含む知的財産権がPrtmeirion Groupに移りました。